廬山寺その1-桔梗咲く「源氏庭」-からのつづきです。
大師堂。
廬山寺は天台系圓浄宗の大本山で、正しくは「廬山天台講寺」。
天慶年間(938年)、元三大師良源(慈恵大師)が
船岡山南麓に開いた與願金剛院に始まるそうです。
その後いろいろと変遷を経たのち、天正元年(1573年)
豊臣秀吉の寺町建設で現在地に移転してきました。
なお、秀吉の京都改造によって、通りの東側に寺院が集められたので、
(廬山寺の前の通りを)寺町通と言うそうです。
(…また、今回初めて知った史実。(^^;)
そう言えばこの通りには、この廬山寺の北側に浄土宗大本山「清浄華院」があるし、
ずっと南に下れば「本能寺」もありました。^-^
緑の中に鐘撞堂が。
ななめから見た鐘撞堂、趣があります。
鐘撞堂の横には筆塚がありました。
源氏庭の南側に、墓地に通ずる通路があります。
よく見ると、塀に寄りそうようにモミジが植えてありました。
「源氏庭」側からは、塀沿いに植えられたモミジはこのように見えます。
今は青々としたモミジが美しい季節。
東側の「源氏庭」の塀の外のもみじはそういう種類なのでしょうか、
少々赤く色づいていました。
お庭の中から見ると、こんなふう。
やっぱり赤い色が加わると、もみじは美しさを増しますね。
さきほどの通路をぬけると、「源氏庭」の東側に慶光天皇陵があります。
1779年に後桃園天皇崩御の後、天皇には男子が居なかったため、
閑院宮典仁親王の第六皇子師仁親王が即位し「光格天皇」となりました。
明治17年に「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号がおくられたそうです。
(ということは、実際に天皇として即位していたことはないのですね。)
「慶光天皇」の他の方もいろいろとここでお眠りになっているようです。
「東山天皇」という方は、この慶光天皇の祖父にあたる方で第113代天皇です。
慶光天皇陵の前にある大きな黒松。
「区民の誇りの木クロマツ」という立て札がありました。
「史蹟御土居」
慶光天皇陵の東側には墓地があり、その一画に「史蹟御土居」の石碑があります。
御土居は秀吉によって作られた京都を囲む土塁のこと。
外敵から京都を守ることと、鴨川の氾濫から街を守る堤防として作られたそうです。
また土塁の中を洛中、土塁の外を洛外と呼びました。
(ちなみにうちは洛外…それも上終(かみはて)よりさらにはて…笑)
今では御土居はほとんど残っていないそうですが、
現在9カ所が史跡に指定されています。
また、この御土居の出入り口として七つ「口」が設けられていたそうです。
(なるほど、なんで北大路の南に「鞍馬口」があるのか、やっとわかった…(^^;
そこに御土居がめぐらされていたのですね。)
御土居巡りをすると、歴史を紐解くこととなり、なかなかおもしろいかもしれません。
廬山寺の裏のお庭。
入り口にある銀杏の樹。
大師堂の横にある石塔。
ところで、廬山寺は京都七福神巡りの3番目「毘沙門天」にあたるそうなんです。
七福神巡りの順番はこうなっています。
大黒天(妙円寺)−弁財天(妙音堂)−毘沙門天(廬山寺)ー福禄寿(遣迎院) −恵比寿神(護浄院)ー寿老神(革堂)ー布袋尊(大福寺)
2番目の弁財天は、ついこの間、「出町の不思議巡り」に出てきたお寺ですね♪
この七福神巡りもおもしろそうです。
(あぁ、いっぱい行かなきゃいけないところが、どんどん増えていきます…笑。)
今回は意味を調べていくうちに、
今まで色々と知らなくて通り過ぎていたことを「なるほど!」と思い、
なかなか勉強になった「廬山寺」の巻でした。
kazenonakanotabi.hatenablog.jp