「近江商人発祥の地-五個荘その1- 」の続きです。
まず訪れたのは「外村繁文学館」です。
外村家4代目外村宇兵衛(この宇兵衛のお屋敷については、その3にて。)
という方の妹さんにみわという女性がいて、
そこに婿養子を迎えて分家した家がここ外村繁邸です。
外村繁はその分家の三男として生まれましたが、長兄は本家の養子となり、
次男は病没したため、三男の繁が跡取りとなりました。
川戸(入れ川戸)。
野菜や鍋などの洗い場。淡水魚も飼ったりしたそうです。
あと防火用の水の役割も果たしました。
井戸の前に花筏がありました。
花筏(ハナイカダ)は葉っぱの上に花がさく、ちょっと変わった植物です。
葉っぱの上にぽろんと黒い真珠のような実が出来ます。
「嫁の涙」という別名もあるそうな。(黒い実が何故、嫁の涙?)
入り口に飾ってあった凧。
水屋。
そして、井戸から五右衛門風呂に水を送る装置がありました。
これは一種のサイフォン方式で水を風呂へと送るのだそうです。
素晴らしいシステム。
その五右衛門風呂。
妻女心得條ですって。
商家の嫁はなかなか大変ですね。
カステイラの作り方なぞが記されております。
これは江戸時代後期のもの。「秀吉公の陣中飾り」なのだそうです。
正面真ん中には虎が飾られていますね。
秀吉公を飾るのは立身出世を願ってのことだとか。
戦前まで、武神として祀られていたそう。
破魔矢。男の子の成長を願って、模擬の弓矢を贈る風習が江戸時代に生まれたとか。
この破魔矢は、外村繁邸に遺されていたもの。
端午の節句の飾り。
髪結の間。
2階への階段。この外村繁邸に限らず、こうした2階への階段は
お屋敷のほぼ真ん中に設置されておりました。
勉強部屋。
勉強の部屋とは反対側の部屋にはミシンが置かれていました。
シンガーミシンです。懐かしい…。(昔、実家にもありました。)
2階の窓から庭をのぞむ。
2階は風通しがよくて気持ちよかったです。
日本はつくづく夏向きに家が造られているなぁ…と、思います。
さて、お屋敷と連結するように蔵がありました。
屋敷と連結しているので、蔵は建物の続きで入れるような構造になっています。
蔵の階段。
2階から下をのぞいた様子。
蔵のなか。今でこそ照明がついていますが、昔は何も灯りはなかったそうで、
手に灯りをもって入ったらしいです。
それも周囲が燃えないように工夫がされた灯りだったそう。
蔵守りの狸。<守護狸>と言うそうな。
この中庭にも、花筏がありました。
庭にあった井戸にはムベ(野木瓜・郁子)が茂っておりました。
秋には赤い実がなるそうです。
天皇も食されるという不老長寿の実「ムベ」。
一度、食してみたいものですね。
この滑車は「織部滑車」と言い、織部釉が施された瀬戸焼きの滑車。
茶人に好まれたので、茶室の傍らに設けられた井戸に使われたそう。
京都の下鴨神社や大徳寺にもあるそうなので、今度気をつけて見てみましょう。
「外村繁」は、大学在学中に梶井基次郎や中谷孝雄らと同人誌「青空」を創刊。
大学卒業後、いったんは家業を継ぎますが、その後弟に譲り、作家活動に入ります。
その3に続きます。