風のなかの「 旅日記」

旅の日記です。たまに京都のおでかけ日記も…。

2015冬の旅その3-山田堰@筑後川-

2015冬の旅その2からの続きです。

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さて、美味しいピッツァをいただいた後、向かったのは筑後川のそばでした。

(あ、ピッツァのお店の名前がわかりましたので、

追記しておきました。m(_ _)m)

 

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筑後川の上を、カワウの群れが飛んでいきます。

 

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ここは「山田堰」という場所。

 

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「山田堰」というのは、筑後川の水を農業用水として活用するため、

江戸時代に作られたものです。

 

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案内板の地図によると、こんな形。

朝倉市のHP(山田堰| 朝倉市)からの引用によると、

江戸時代前期寛文3年(1633)筑後川から水を引き150haの新田が開発されました。その後更に開田をすすめ水量を確保するため取入口を変更し、岩盤をくり抜いた切貫水門となっています。
 寛政2年(1790)に至り、筑後川いっぱいを堰き止める石堰を築造し水量の増加をはかりました。
 表面積7688坪(25,370㎡)の石堰も、明治7年、明治18年、昭和55年の洪水で崩壊するなど幾多の試練にあいながら、今もなお昔の面影をとどめて670haの美田を潤しています。この山田堰の工法はペシャワール会によってアフガン復興支援の灌漑用水モデルとして活用されています。

 

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水門の上に建てられた鳥居。

天保4年(1833年)となっています。

水門よりもだいぶ後になって建てられたもののようですね。

 

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ここには大きなクスノキが植わっていました。

 

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このクスノキも筑後川の用水をずっと見守って来たのでしょう。

 

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これが堀川用水。

 

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この水が田畑に潤いをもたらします。

 

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用水の横に植えられた柿の木。

 

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レモンも植わっていました。

 

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干しイチジク…^-^;

 

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筑後川ダイサギさん。

 

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筑後川の夕景。

 

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 金色の天使の梯子がかかりました。

 

 

 

(おまけ)

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パラグライダー。これはモーター付き?

 

その4に続きます。