風のなかの「 旅日記」

旅の日記です。たまに京都のおでかけ日記も…。

興福寺・北円堂開扉。

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さて、正倉院外構を見学した後、興福寺へとまいりました。

興福寺天智天皇8年(669年!)に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像

安置するため、夫人の鏡女王が山科(京都)に建てた「山階寺(やましなでら)」を

始まりとするそうです。

その後、飛鳥に移り、都が平城京になってこの地に移ってきたそう。

それが710年。

 

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「東金堂」 今の建物は応永22年(1415年)に再建されたもの。

 

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本尊薬師如来像のほか、日光・月光菩薩文殊菩薩維摩居士像、

十二神将像、四天王像が安置されています。

 

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興福寺の戸帳は鹿の文様です。

如何にも奈良らしく、また上品な絵柄ですが、

これは正倉院の宝物「麟鹿草木夾纈屏風」の絵からとったものらしいです。

↓画像を持って来る訳にいかないので、こちらをどうぞ。

麟鹿草木夾纈屏風とは - 正倉院宝物 Weblio辞書

 

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そして「五重塔」。

天平2年(730年)に光明皇后によって創建。

 

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現在の塔は応永33年(1426年)に再建されたもので、

日本で2番目に高い塔となっています。(1番は東寺。)

 

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「北円堂」がちょうど開扉していたので、拝観しました。

 

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「北円堂」は養老5年(721年)元明元正天皇によって

藤原不比等の一周忌に創建。

現在の建物は承元4年(1210年)頃の再建。

興福寺伽藍のなかで、今も残る最も古い建物となります。

 

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中には、運慶作の弥勒如来、無著・世親菩薩などが置かれています。

 

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そして、松の向こうに見えるのは「南円堂」。

西国三十三カ所第九番札所になります。

 

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猿沢の池から見える五重塔、美しいですね。

 

(御朱印)

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朱印帳を忘れて行ったので、またもや購入、^-^;

この文様は興福寺創建の瓦柄だそうです。

しまった、瓦の模様をちゃんと写真におさめてくればよかったです、^-^;

 

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右は興福寺の御朱印。

左は北円堂の御朱印です。

 

(おまけ)

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帰りは「ひがしむき商店街」のなかを通って帰りました。

入り口にあるみかさを売っているお店が有名(名前失念)だそうですが、

私たちが帰る頃には売り切れていました、残念。

 

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で、近鉄の駅でこちらを購入。

この「みむろ」の最中も有名らしい。

みむろ-(株)白玉屋榮壽

もちろん、美味しかったです。^-^

 

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葛きり、早速お鍋に使いました♪

 

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今回の「柿の葉すし」は、「ゐざさ寿司」のものを。

(もうひとつの柿の葉寿司は京都でも買えるのだけれど、これは京都では買えない。)

鯖、鯛、鮭の三個セットを家族分買って帰りました。^-^

柿の葉すしのゐざさ 中谷本舗

 

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正倉院外構見学。(おまけの話を追記) - 風のなかの「 旅日記」