仕事帰りに梨木神社へ立ち寄りました。
「二の鳥居」
梨木神社は別名「萩の宮」とよばれる萩の名所です。
今の時期は緑の萩が参道を涼しげにしてくれています。
「染井の水」
京都三名水のひとつです。
この井戸はかつて文徳天皇の女御「明子の方」の里邸の跡にあり、
宮中御用の染所の水として、染井の水が用いられていたという由緒があるそうです。
その明子の方ですが、「染殿后」(そめどののきさき)と呼ばれていたそう。
フルネームは藤原明子(ふじわらのあきらけいこ/めいし)←あきこじゃないのね。(^^;
清和天皇のご生母。(なお、良房がこの清和天皇の摂政に皇族以外ではじめてついた。)
…と、歴史のお話はこれぐらいにして(^^;
要するにこの井戸は、千年以上もの歴史があるという訳ですね。
蛇口をひねると、水は勢いよく出てきます。
三名水のうち、今も現存するのは、この染井の水だけだそうです。
ご神木「愛の木」
手水舎の横にあります。
カツラの葉っぱがハート型なことから「愛の木」と名付けられたとのこと。
青々とした葉っぱが美しいです。
「神門」
梨木神社のご祭神は、贈右大臣正一位 三條実萬(さねつむ)公と、
明治十八年に実萬公をお祀りする社として創建されたそうです。
(平安神宮に続き、明治以降に建てられたものだったんだ…と、はじめて知った。)
実萬公は当時の人々からは「今天神様」と呼ばれたほど賢いお方であったらしい。
1859年に安政の大獄で謹慎の処分を受け幽居、その年に薨去。
その後、明治2年に明治天皇より「忠成公」の諡を賜ります。
実美公は京都御所が廃止されようとしたときに、
「それでは市民がかわいそうです。それによって京都が廃れます。」と
要するに京の都が今もこうしてあるのは、この方のおかげな訳ですね。
第二座御祭神として合祀されました。
「天壌無窮の石碑」
実萬公が軸に書かれ、皇室の弥栄を祈念していたものが破損したため、
その言葉を石に刻んだものと伝えられています。
天壌無窮とは、天地とともに永遠に極まりなく続くさま。
湯川秀樹博士の歌碑。
「千年の昔の園もかくやありし木の下かげに乱れさく萩」
博士は梨木神社「萩の会」の初代会長だったそうです。
(湯川博士は歌も詠まれたんだね…と、相方を前にしてつぶやいたら、
おもむろに湯川博士の「旅人」という赤茶けた古ーい文庫をを取り出して来た、笑。
その本によると、博士は梨木神社の北側に住んでいた事もあったそうです。)
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あと、上田秋成の歌碑もあるそうなのですが、どこにあったのか…
見落としてしまいました。(また次回、立ち寄った時にでも探してみます。)
(おまけ)その1
帰り道、京都御苑から出ている薄明光線。
(おまけ)その2
この日(6/30)の大文字山。
梨木神社は仕事帰りに寄ろうと思えばいつでも寄れるのだけど、
今までずっと素通りして京都御苑に入っていました。
四季折々の楽しみがありそうなので、また気軽に立ち寄りたいと思います。
(なお、最初は6月30日に行った日にレポートしようと思ったのですが、
あれこれ写真が足りない事に気づき、7月6日にふたたび参りました。
なので、晴れている写真は6月30日のもの、雨の写真は7月6日のものです、(^^;)
6月30日はこのあと、下鴨神社に行きましたので、
そのおでかけ日記はまたのちほど…。