先日、両足院の特別拝観に行って参りました。
650余年前に龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
徳見禅師は四十年ほど中国に滞在した後、足利尊氏の招きにより日本に帰国しました。
このとき禅師を慕って日本に渡海したのが、林浄因という方です。
この方は日本ではじめて饅頭を作った人物であることから
「饅頭始祖の寺」としても知られているそうです。
「唐門前庭」
門を入ると、まず唐門前庭があります。
ここは白砂と苔と松のコントラストが美しいお庭。
奥には白砂が円錐の小山に盛られています。
美しい形と砂紋。
入り口には円い窓。かすかに方丈の庭の緑が見えます。
方丈からの庭のながめ。
桃山時代の枯山水庭園「方丈前庭」、苔が美しいお庭です。
「方丈前庭」の東側。
庭の先には「書院前庭」へと続く門があります。
京都府指定名勝の池泉回遊式庭園「書院前庭」
薮内流5代・竹心紹智の作庭。
池の奥には信長の弟織田有楽斎好みの如庵(国宝)の写し「水月亭」と、
大村梅軒好み「臨池亭」の2つの茶室が並んでいます。
書院からのお庭のながめ。
ここに座って、ずっとこの景色をながめていたい気持ちに。
池には鯉や亀、へびも生息しているそうです。
ときどき、アオサギもやってくるとか。
「半夏生(はんげしょう)」はドクダミ科の多年性落葉草本植物。
花が咲くこの時期だけこのように葉っぱが白く変化するそうですが、
どこに植えてもこのように白くなる訳ではないそうです。
(土壌が違うと白く変化することがないらしい。)
花を咲かせることに由来する説と、
葉の一部をのこして白く変化することから「半化粧」とする説があるそうです。
また、葉の表面だけ白くなることから
「片白草(カタシロクサ)」と呼ばれてることもあるそう。
(wikipediaより)
ちなみに我が家の歳時記カレンダーでは、今年の「半夏生」は7月1日でした。
茶室へ渡る石橋。
この日は臨池亭でお茶をいただきました。
茶室側からの池の眺め。
池は鶴を形どり、水は清水(きよみず)のほうからひいているそうです。
確かにここからの池の形は鶴が飛翔する姿に見えますね。
「半夏生」の名がついた薯蕷饅頭。
両足院の家紋の月と星が焼き印されています。
餡は緑色でおもての皮の色とで、半夏生の植物を表現しています。
本日のお手前は扶桑織部流でした。
織部流は直接茶碗を畳に置く事はなく、必ずこのような茶碗台にのせるのだそう。
お棗は(たしか)河太郎棗。ふたの真ん中がへこんでいて、
河童の頭に模してあるというおもしろい棗でした。
水差しは平戸焼き(だったはず… なんせ記憶力低下の頭なのであやふや…(^^;)。
ふたには可愛いお人形さんがちょこんと乗っています。
茶花や掛け軸の説明も聞いたのだけれど、失念してしまいました…。
香合は「八つ橋」とおっしゃっていたのは覚えてます。
なるほど、模様にカキツバタが描かれています。
(伊勢物語第九段ですね)^-^
最初、方丈に入った時にはまだ人は少なかったのですが、
見学しているうちにだんだんふえてしまい、茶室に至る頃には大勢の人、人。
六畳の茶室に、なんと15人も入ってお茶をいただきました…。
築山からの本堂と書院のながめ。
瓦には月と星の家紋が入っていたとか。(後で知った…)
写真におさめてこなかったのが悔やまれます。(一応、両足院のHPで見られます。)
坪庭「閼伽井庭」
閼伽(あか)とは仏前などに供養される水のこと。
ここは閼伽を汲む井戸があった坪庭です。
ここの白砂もきれいに砂紋が描かれていました。
「両足院」を出た後、北隣の「毘沙門天堂」に立寄りました。
ここには黒田長政がここの尊像を内兜におさめて奮戦し、勝利を収めたことから、
勝利の守り神とされているそうです。
中に入ると、狛虎さんがいらっしゃいました。
狛虎阿形と
狛虎吽形。
ここは寅年の本尊なのです。
(なので、私は絶対お参りしなければならない…(^^;)
香炉の両脇にも虎がいらっしゃって、真ん中にはムカデの紋が彫られていました。
ムカデは毘沙門天のお使いなんだそうです。
毘沙門天は勝負の神様であると同時に、
家の財産もお守りくださる神様でもあるのだとか。
(と、お寺の方がいろいろと説明してくださいました。^-^)
(おまけ) 虎みくじ
「大吉」でした。^-^
でも相場には手を出しちゃだめだよって書いてあった…。
(小心者なのでもともとやらないけれど、笑)
(おまけ)その2
建仁寺さんを出た後、近くの「祇園迦陵」でお昼をいただきました。
おくどさんごはん、美味しかったです。^-^
そうそう、入り口にはちょうど「半夏生」が飾られていて、
私たちを出迎え、そして見送ってくれたのでした。